功臣も領議政も公平に罰すれば不満は出ませんよとすすめる粋嬪ハン氏に従い、
喪中で執務できない王に代わり摂政をしている大妃(貞熹王后)が尋問を命令。
彼らが訪問したのは事実だが大臣たちは買収されていませんでした・・・と
報告書を提出する左議政パク・ウォニョンをすぐに下がらせて粋嬪が代読し、
領議政(亀城君)、シン・スクチュ(高麗君)、右議政キム・ジルの罷免をすすめます。
キム・ジルはさっそくハン・チヒョン(粋嬪従兄)にすり寄り始めました~。
人々はハン・ミョンフェ(上党君)の側室ヒャンイのご機嫌とりまでしているようですよ。
亀城君は睿宗に辞意を伝え、臨瀛大君も大妃に息子・亀城君の辞任を申し出ます。
奔競の取締りはハン・ミョンフェの策略です!と訴えるキム・スオンに、
ならば仲間のシン・スクチュ(高麗君)が捕まるわけないわ!と怒る大妃。
亀城君は信用できない!私が気楽に相談できるのは粋嬪だけ!とも言います。
亀城君と高麗君が避嫌(ピヒョム=処分まちの謹慎)していると知った粋嬪は
兵曹参知ユ・ジャグァンの提案どおりに辞表の取り下げを大妃に進言。
こうして亀城君を領議政に在職させつつも気勢をそぐことに成功すると、
日和見主義のハン・ミョンフェは信用できないと評して大妃をうなずかせ、
殿下の健康が心配だからそろそろ肉をお出しくださいと助言しました。
睿宗に肉食をすすめつつ足の状態をチェックした大妃は悪化した足に呆然とします。
シン・スクチュに奔競の使いをよこした咸吉道観察使は信用できません!と
大妃の前で憤慨してみせていた粋嬪でしたが・・・それには理由があったようです。
亀城君の腹心が握っている咸吉道にハン・チヒョンを赴任させるつもりでした。
大妃の前でけなしたハン・ミョンフェを領議政にしようとも考えています。
そのハン・ミョンフェはユ・ジャグァンと「いよいよ時が来た」と確認。
奸臣を倒すために立ち上がれ!とユ・ジャグァンがナム・イをそそのかしました。
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悪党柳子光(ユ・ジャグァン)がいつの間にか、兵曹正郎(ピョンジョジョンナン 正五品相当)から
兵曹参知(ピョンジョチャムジ 正三品堂上)に昇進していました。赤服への衣替え。
ということは、この回の話は、1468年5月以降で、
南怡(ナムイ)の謀叛事件勃発の同年10月までの間ということでしょう。
しかも、韓致亨(ハンチヒョン)が咸吉南道観察使(ハムギルナンド クァンチャルサ)に就任するのは
同年10月20日なので。(朝鮮王朝実録より)
因みに、日本では、前年に応仁の乱が勃発しており、いよいよ戦国時代の幕開けとなっています。
日韓とも騒がしい御時世ということになります。
ところで、六曹(ユクジョ)の正三品堂上相当の官職は通常、参議(チャミ)だけなのだが
どういうわけか、兵曹(ピョンジョ)のみ、
そのほかに参知(チャムジ)といった官職もあります。