朝廷でイ・チョやイ・セクが弾劾される中、チョン・モンジュだけが反対。
彼らを許しましょう・・・と意外にもイ・ソンゲが寛大な処置を促すと、
そーだそーだそうしよう♪と恭譲王がコロリッと意見を変えて賛同します。
イ・セクらは釈放されるも、高麗遺臣チームは仲間割れしつつありました。
その中の一人、密直提学ハ・リュンがミン・ジェ(バンウォン義父)を訪問。
民は新しい世を望んでいるのではありませんか?と自論を披露しました。
イ・セクの弟子で後に袂を分かつ彼は、風水や易学が得意だったそうです。
イ・ソンゲの郷妻ハン氏(後に神懿王后として追尊)がいよいよ危篤に。
真面目で実直な性格ゆえ不遇な長男バンウのことを夫や五男バンウォンに託し、
兄弟が仲良く暮らせるようにこの人をよろしく・・・と京妻カン氏に頼みます。
苦労ばかりかけてすまなかった・・・とイ・ソンゲがハン氏に謝っていますが、
ハン氏は6人の息子と2人の娘をもうけたものの夫の愛情を受けなかったとか。
あと10ヶ月長く生きていれば朝鮮初の王妃になれたという不遇な運命でした。
バンウォンは官職を辞し、普通は100日で済ませる墓守を3年間つとめました。
『高麗史』によると3年間の墓守は万に一人とされるほどの稀にみる親孝行ぶり。
ですが兄バンガン(四男)は「父上に取り入るために違いない」と陰で罵ります。
夫の墓守生活に粗末な小屋で付き合う夫人ミン氏は、警戒心を叩き込みました。
「義母カン氏は未来の王妃。義父上が長男を捨てたら世継ぎはどうなるかしら?」
恭譲王4年、明へ謝恩使として赴いた世子を迎えるため、イ・ソンゲが開京を出発。
特に彼が行く必要はありませんでしたが、民心を得るの行動だったそうです。
その旅の途中、イノシシ狩りを楽しんでいたイ・ソンゲが落馬して負傷しました。
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