国中から数万人のワン氏が連行され、乗せられた船の底に穴をあけられました。
こうして江華島(カンファド)と巨済島(コジェド)で多くのワン氏一族が溺死。
その後も逃げのびたワン氏を執拗に探し出す行為が国中で続けられたそうで、
高麗王族の子孫でないワン氏の人々はワン氏の姓を捨てて母方の姓を名乗り、
高麗時代に功績を上げてワン氏の姓を授かった人々は元の姓に戻したそうです。
そして高麗の最後の王だった恭譲君とその息子ワン・ソクも自決を迫られました。
「賜薬は不要!誇り高く死にたい」と恭譲君は潔くグサリ。息子も後を追います。
この迫害のことは自国の過ちを悔いるように詳細に『実録』に記されているとか。
これ以後、頻繁なアラレや長い梅雨など不吉な出来事が続き、民心が乱れました。
これも全てあのメギツネのせい!と憤るイ・バンウォン(靖安大君)夫人ミン氏。
そのメギツネ王妃はバンウォンたち前妻腹の兄弟と太祖の面会を妨害しつづけ、
飢饉が続くのは王の息子の行いのせいよ!とまで罵ったのでバンウォンがムカーッ!
そんな折、幼い世子が内官相手に飲んだくれているという噂を聞いて驚愕します。
長らくこん睡状態だった太祖が、夢の中で老人に叱られてやっとお目覚め。
飢饉で民が苦しんでいるのに王ともあろう者が寝てばかり!と言われたそうです。
太祖前妻の王子たちが王妃(神徳王后)のふるまいに立腹して結束しつつある中、
王妃がチョン・ドジョンの助言に従ってバンウォン以外の大君と会食していると、
バンウォンが自分で狩った鹿を担いで中宮殿に乗り込み、鹿を投げつけました。
「狩に出ていて会食のことを知りませんでした。女に惑わされて病になった父上に
これを食べさせてやってください。だたし王妃様はひと口も食べないように!」。
あまりの屈辱(と死んだ鹿)にぶるぶる震える王妃に、あるしらせが届きました。
灯台下暗し!バンウォンの間者が中宮殿のキム尚宮だと判明したというのです。
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