殿下の体に黒い点が出ていた!置毒に違いない!とパルングン(巴陵君)は激怒。
湯薬を煎じた大妃(仁聖王后)を疑えば?あーたが龍床につきたいの?と
ナンジョンと大王大妃(文定王后)が屁理屈こいて怒鳴り返しています。
大王大妃に実権を握られたくない判府事ユン・イムは、垂簾政治を大妃に依頼。
大王大妃さまがいらっしゃるのに!?と政治にうとい大妃は戸惑いまくりです。
そんなかよわい大妃をナンジョンの提案どおりに大王大妃が呼びつけて、
垂簾政治するなり自分を追い出すなり好きにすれば?と迫って脅しました。
今日のために数十年耐えてきた!今さら嫁に押し切られてたまるものか!と
あとで大王大妃がひとりごちていましたがあの嫁にそんな欲はなさそうですよ。
そんなこんなな混乱の中、明宗が誕生したのは、仁宗崩御の数日後でした。
貧しい家から嫁いできて後宮や功臣勢力と戦いながら王妃の座を守り抜き
37歳にしてやっとこさ産んだ慶源大君の即位に感激で胸がいっぱいの大王大妃。
右賛成イ・オンジョクは「垂簾政治は大王大妃が行うべき」と答えを出します。
落胆して帰宅した判府事は、夫人から仁宗の死因にまつわる噂を聞いてびっくり!
(というか、今まで疑っていなかったのが不思議でたまらないのですが・・・)
そこへ巴陵君が訪ねてきて、小ユン派追及に向けての二人の意見が一致しました。
ちなみに『朝鮮王朝実録』には仁宗毒殺のことは記されていないませんが
キム・ハソなどの学者が書いた書物などではその疑いが提議されているそうです。
大王大妃とナンジョンがすべきことは、判府事たち大ユン派と巴陵君の追放です。
打倒判府事の布石として、まずは敵である判府事に左賛政の地位を与えました。
ですが他の要職には小ユン派が就いているのでユン・イムに実権はありません。
(兵曹判書イ・ギ、礼曹判書ホ・ジャ、知中枢府事チョン・スンプンなど)
さらに大王大妃は長兄ユン・ウォンロに罪を着せて見せしめに海南へ流刑。
明宗に挑む者はたとえ身内であっても許さないという強固な姿勢を示しました。
大ユン派に新王推戴の動きがあると妓生ソ・ウォルヒャンに聞いたナンジョンは
(仁宗が抹殺されたのなら次の明宗には正統性がないので正論なのですけど)
入手したユン・イムの筆跡(ちょいヘタうま風)を真似て手紙を捏造しました。
ユン・ウォンヒョンは大ユン派のチョン・ウンギョを取り込んで情報源をゲット。
ユン・イムは再びヒ嬪に近づき「鳳城君を王位につかせてやる」と誘惑しました。
大臣たちと会議中の大王大妃の部屋へ、ナンジョンが満を持して無理矢理乱入。
逆謀を告げにきました!!とまたまた芝居がかった振る舞いをするのでした。
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