左賛成ユン・イム(もと判府事)と宗親が鳳城君(ヒ嬪息子)を推載するという
大妃(仁聖王后)宛ての密書(捏造)をナンジョンがうれしそうに提出して告発。
大王大妃(文定王后)はユン・ウォンヒョンを大司憲に、イ・ギを左議政に据え、
イム・ベクリョンを吏曹判書に出世させて、大ユン派一掃の密旨を下しました。
大ユン派のチョン・ウンギョも寝返ってくれて、小ユン派はさっそく行動開始です。
ナンジョンが極刑を望む一方、まだ小ユン派ではないイム・ベクリョンは消極的。
ユン・イムとユ・インスクとユ・グァンはとりあえず流刑ですまされました。
ユ・インスクとユ・グァンは士林派の信任が厚いので簡単に処分できないのです。
側妻ウォルヒャンとナンジョンが通じていたのか!と気づいたがユン・イムが、
ウォルヒャンを殺してでも口をふさげ!と正妻に指示しますが時すでに遅し。
捕らえられたウォルヒャン(非・厚化粧)がチュリの刑に哀れな声をあげます。
ウォルヒャンはナンジョンの命令どおり、ユン・イムが逆謀を企んでいたことや
桂林君(ユン・イム甥)や鳳城君(ヒ嬪息子)を推戴しようとしていたと白状。
中道派だったイムも、愛する女ウォルヒャンの涙の自白を信じちゃいました。
ということで、ユン・イムと側近のユ・インスク&ユ・グァン親子は賜死。
この事件から朝鮮の四大士禍のひとつである乙巳士禍(ウルササファ)が始まり、
クォン・ボル,ペク・インゴル,チョン・ヒ,パク・クァンウら61人と桂林君が粛清。
(ズルイ男パク・ヒリャンも冒頭でゴーモン済みの姿でぶちこまれてましたね)
ウォンヒョンは衛社(ウィサ)二等功臣、取り巻き3人組は一等功臣となり、
イ・オンジョクは士林派の反発を抑えたとして三等功臣の称号を与えられました。
私の命と引き換えに息子(鳳城君)をお助けください!と泣きつくヒ嬪に、
私が人を殺められる人間に見えるか?と大王大妃がヌケヌケと問い返してます。
中宗の一回忌の前に、鳳城君を許すかわりにヒ嬪が宮殿を去ることになり、
みじめに宮殿を出て行くヒ嬪をやさしい昌嬪が追いかけて財物を手渡します。
功臣ホン・ギョンジュ(南陽君)の娘であるヒ嬪ホン氏は13歳で入宮し、
後宮として40年以上も権力を握り、88歳(宣祖14年!)まで生きたそうです。
都に戻った大王大妃長兄ウォンロは、待遇に不満を抱き、小ユン派の邪魔者に。
そこで兵曹佐郎ユン・チョンニョンに弾劾され、賜死されちゃいました(怖っ)
もうすっかり大王大妃とナンジョンによるウハウハ女人天下♪な時代なのですが、
まだ邪魔者のパルングン(巴陵君)が残っている!とナンジョンが息巻いてます。
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