ここまできたのは私兵のおかげではありませんか?とチョ・ヨンムが猛烈に反論。
一番の忠僕である自分でさえ不満なのに他の功臣はなおさらです!と訴えます。
共に生きるためだ・・・そなたならわかってくれると思ったのに!と言われても、
絶対に私兵は奪われたくないです!とバンウォン(靖安大君)に断言しました。
上王・太祖は開京の宮殿には入らず、さっさと金剛山の白雲(ペグン)寺へ。
バンウォンに盗まれた国を取り戻す!といきなり闘志をみなぎらせちゃいました。
さらに定宗元年(1399年)8月辛丑の日(4日)に白雲寺の空に血の雨が降ると、
これは死んだ王妃(神徳王后)の涙だ!と太祖が決意新たに燃えています。
ちなみに史書には、二日後には慶尚道の海が赤く染まり魚が死んだとあるとか。
「殿下、泰平の御代を必ず築いてください・・・チュ~ナ~・・・」。
見舞いに来たバンウォンにこう言い残して、元老ソル・ジャンスが逝去しました。
ソル・ジャンスは高麗の文官で先祖の出は慶州、字はチョンミンで号はウンジェ。
ウイグル族出身で、恭愍王7年に父親とともに紅巾の乱を避けて高麗に渡り帰化。
科挙に及第して、高麗王朝では政堂文学に昇進、功臣の称号も与えられました。
朝鮮が建国されたのち燕山府院君に封ぜられ、明には使者として8回も赴きます。
詩詩と書道にたけた人で、文良(ムンニャン)という雅号だったそうです。
イ・スクポン夫人チョン氏がバンウォン夫人ミン氏のことを「王妃様」と呼んだり
早く靖安大君を王にすべきですとナム・ジェが会議で公然と発言したりする中、
バンガン(懐安大君)が邪心を隠すためバンウォンに急にスリスリし始めました。
ハ・リュンとミン氏が怪しむも、身内には甘いバンウォンは兄を信じています。
靖安大君に反旗を翻しましょう!とイ・ゴイに誘われて苦悩するチョ・ヨンムは、
説得に来たイ・スクポンにエラそうな口をきかれてちゃぶ台をひっくり返します。
宮殿では、空に上がる火薬(花火)を見て倭国から来た使者が称賛しまくり中。
その席で「靖安大君を世子にすべきです!」とナム・ジェが主張して怒られます。
バンウォンに命を助けられたナム・ジェは生き残る道を知っていたのでした・・・
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