昼間から酒か?そんなに飲みたければ思う存分飲め!と太宗が怒って去ると、
じゃあせっかくだしホ尚宮と飲もう♪と世子(譲寧大君)は全く気にしてません。
酒を飲みながら世子は、弟の忠寧には世子になる素質があると世子妃に話します。
一方の太宗は、都承旨ファン・ヒの前で涙を流して世子への思いを語りました。
大罪人の息子をもっと遠くへ送ってください・・・と太宗にしたためるミン・ジェ。
王妃と連絡を取れないような遠地へ送ることで、息子の命を救いたいからです。
その手紙に感動した太宗はミン兄弟を大邱(デグ)と驪興(ヨフン)へと送らせ、
厳刑を迫る領議政イ・ファに「この件はこれで終わりだ」と決着を言い渡すと、
“誠実だが問題に巻き込まれると対処できない”チョ・バクを地方へ行かせます。
さらに、見聞を広めさせるために、世子を明へ送る新年の使臣にすることに。
世子は甥を追い出して皇帝になった永楽帝のことをあてこすりながら承諾します。
ついでに孝寧大君と忠寧大君の婚礼も急がせようと太宗が言い出していますが、
使臣の件も婚礼の件も中宮殿への相談がなかったため、王妃はむかつきまくり。
そんな母を気遣う世子は、旅立ちの挨拶をしながらこのように言い聞かせました。
「すべての憤りを捨てるのです・・・父上が側室を訪ねても怒らないでください。
父上は外戚を警戒していますから、叔父上たちとも付き合わないでください」。
下の息子ムフェとムヒュル、ムジルの夫人ハン氏が宮殿に呼ばれて行ったと知り、
のこのこ行ったのか?と軽率な行動にミン・ジェがまたmたあきれ果てています。
「確かにお前たちの姉上は国の母だが、この家にはまったく役に立たないお方だ!
家門を滅ぼす気か?中宮殿には二度と行くな!生き残りたければ都を離れろ!」。
太宗7年の冬、さほど間隔を空けずに、孝寧大君と忠寧大君が婚礼を挙げます。
二男・孝寧大君イ・ボのお相手に選ばれたのは、チョン・ヨクの娘でした。
海州出身で朝鮮初期の文臣であるチョン・ヨクの字はスンジ、号はペクチョン。
太宗とともに科挙に及第して親交があり、交州道按廉副使を務めた人だそうです。
そのめでたい婚礼の最中に、ホン内官が太上王・太祖の危篤をしらせました。
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