仁祖5年1月20日、アミタスやカン・ホンリプ率いる後金の大軍が、黄海道へ。
ナム・イフン将軍は勇敢に散りましたが、他の兵は投降か逃亡しました。
彼らはもともとは農民や漁師で、特別な訓練は何も受けていなかったそうです。
戦況を知った全羅道の楽安(ナガン)郡守イム・ギョンオプが大憤慨。
イム将軍にいろいろと教えてくれたのは国中を自由に動き回るトッポ僧侶です♪
イ・グァルの乱のときに避難した仁祖は、今度は都城を離れない!と主張しました。
81歳のイ・ウォンイクが老体をおして登庁し、重臣たちとともに避難するよう説得。
仁祖は江華島へ向かうと決め、昭顕世子のことは全州に行かせて「分朝」します。
昭顕世子をずいぶん可愛がっているらしい王大妃(仁穆王后)が別れを惜しみます。
1月24日には内命婦たちが、26日は仁祖や朝廷の面々が江華島へと発ちました。
仁祖ご一行様は途中の鷲梁津(ノリャンシン)の丘でいったん足を止めると、
四年の間に二度も都城を離れる試練を嘆きまくる教書を涙ながらに読み上げます。
よくわかりませんがユン・ウィリプが「殿下が連絡をよこすべき」とお怒り中。
その理由は、娘のソアが一度は世子嬪に選ばれたからだそうです。
でもその後ユン・ウィリプ父娘は屋敷を出てどこか(江華島?)へ避げたようです。
ソアの顔(具体的には目元)が一話の頃に比べると変わったような・・・?
後金に逃げたユン進士とソヒャンは、快進撃のしらせにウッシッシーと大喜び。
帰国したら府尹は確定だな♪まずは判書になってください♪と浮かれています。
今回は配流されている光海君(チェ・パンスル商団の方!?)も出てきましたよ。
町でカン・ホンリプ将軍の庶子カン・スクを見かけたチェ・ミョンギル(遅川)が、
もう一度ご子息を使いにやって家族の無事を伝えてください・・・と正妻に懇願。
カン・ホンリプと親しかった都元帥チャン・マンがカン・スクに書状を預けます。
そのころ、カン・ホンリプは礼成江(イエソンガン)の向こう岸に立っていました。
部下パク・ナニョン将軍と一緒に、祖国への複雑な思いを有名な詩に乗せています。
そして夜、礼成江を渡ってきた朝鮮からの使者が、カン・ホンリプを驚愕させました。
使者は死んだと思っていた自分の息子で、妻も生きていると知らされたからです。
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