「万物の造物主である天帝を天主と呼び、週に一度の安息日に祈りを捧げよう」。
鶯子山(エンジャサン)の天真庵で開かれた講学会で士大夫が話し合っています。
この頃は西洋学の概念を天主学と呼び、宗教ではなく学問として捉えていました。
世間は講学会に参加する士大夫のことを「天主学の道人」と呼んでいたそうです。
韓国は天主教を独自に開いた唯一の国として称賛され、天真庵はその発祥地。
鶯子山に残る天真庵の跡地は天主教の聖地として世界中から脚光を浴びており、
講学会で天主の存在を力説した教祖イ・ビョク(広庵/クァンアム)が中央に、
左右にイ・スンフン(万川/マンチョン)とチョン・ヤクチョン(選庵/ソナム)、
クォン・チョルシン(鹿庵/ノガム)とイルシン(稷庵/チガム)兄弟が眠っています。
今回、ユン・ボベを追う許婚がキム・ゴンシンだという名前だとわかりました。
彼はホン・グギョンの部下で官職を剥奪されたキム・ハギョンの息子。
(このときホン・グギョンは左遷→病死後なので、グギョン派は冷遇中という設定?)
そのキム・ゴンシンは、友達パク・スンドがボコられる場面を物陰から見ており、
ソナの顔を見て事件の当事者だと思い当たると、ヤンとソナ兄妹を問い詰めます。
ところがヤンは、パク・スンドは死んでおらず許しを請うたと説明(真相不明)。
義禁府がいやならボベを渡せ!とキム・ゴンシンがポンニョン僧侶に迫っていると、
イ・ビョクとクォン・チョルシンが入室してきてキム・ゴンシンの身元を尋ねます。
父親がそんなときに言動慎めよな!と二人が叱責してくれて、兄妹は無事でした。
宮殿では、生まれたばかりの王子を王妃(孝懿王后)と綏嬪朴氏が可愛がっており、
王子が“はしか”にかかっても生母の宜嬪成氏(やっと登場)は蚊帳の外。
ちょっとぶーたれている宜嬪に、大妃(貞純王后)や正祖が言い聞かせます。
イ・ビョクの夫人は人柄にすぐれ学識もありますが、病弱で子供はいません。
漢文の『天主実義』を徹夜で筆写したのがたたったのか、寝込んでしまいました。
ちなみにこの『天主実義』という書物は文禄の役で朝鮮に伝わったもので、
丙子の乱で昭顕世子を護衛したイ・ギョンサン(イ・ビョク祖先)が広めたとか。
そして天主学の初期の思想が伺えるのが、イ・ビョクが作った「天主恭敬歌」。
天主を敬いながら孝と忠誠と三綱五倫と道徳を守ることを規律としたため、
皆から疑いなく受け入れられ、ユン・ボベ(坡平ユン氏出身)も共感しました。
全てを忘れて新しい人生を歩みたいからヤンと結婚したい!とイ・ビョクに頼みます。
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