龍珠寺(ヨンジュサ)でクォン・イルシン(稷庵/チガム)たちと会った正祖は、
学問するだけなら認めるけど紀綱を乱しちゃだめだからね!と言い聞かせました。
イ・ビョク亡き後、都の天主教活動は鎮静していましたが、地方では勢力アップ。
平澤県監のイ・スンフン(蔓川)は、一族の圧力に負けて誓約書を出したものの、
逆に信仰は深めており、大成殿(孔子の位牌)にお参りしていませんでした。
けしからん!と大妃(貞純王后)がシム・ファンジをたきつけてさっそく弾劾。
イ・スンフンを一方的に悪者と決め付けるシム・ファンジを正祖が叱り付けてます。
大変だー!とカン・ワンスクら天主教仲間が平澤へ走って(おそらく賄賂を使い)、
「イ・スンフンは平澤に赴任した日に参拝した」ということにして事なきを得ます。
ヤンの立場もあるうえ、ソナに制止されても、信仰を捨てられないユン・ボベ。
婚姻した身でキム・ゴンシンに連れて行かれたことにわだかまりがあるそうです。
イ・ビョクの夫人と話をしたいと訪ねますが、イ・ブマンの夫人に拒まれました。
今回はイ・ビョク夫人の化粧がすごく濃くなっているのが気になります!
正祖14年6月18日、側室の綏嬪(スビン)パク氏がめでたく王子(純祖)を出産。
続いて水原府華山に移された思悼世子の墓(顕隆園/ヒョルリュンウォン)が完成。
正祖は改築した龍珠寺に絵師キム・ホンドの仏画を飾り、高僧サイルを呼び、
生母の恵慶宮ホン氏を連れて行き祭祀をおこない、孝行ぶりを知らしめます。
世界初の人工都市である水原城は、正祖が推進してきた実学主義の成果でした。
正祖15年(1791年)、全羅道の珍山で歴史に残る重大事件が起こりました。
クォン・サンヨンいとこのユン・ジチュンが母の葬儀にあたり位牌を燃やしたのです。
儒教のしきたりに真っ向から反するこのふるまいはもちろん朝廷の大問題に!
大事にせず二人の処罰だけで収拾するよう左議政チェ・ジェゴンが正祖に訴えます。
こうしてクォン・サンヨンとユン・ジチュンが処分されて幕を閉じたこの事件は、
「珍山事件」または辛亥の年に起こったことから「辛亥迫害」と呼ばれるそうです。
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