文孝世子につづいて生母の宜嬪が他界し、毒殺では?という不穏な噂も流れました。
大妃(貞純王后)はこれを機に天主教(=南人派)勢力を処分しちゃう気マンマンで、
殿下が何もしないならあーたが動きなさい!と王妃(孝懿王后)をせっつきます。
弱りきった王妃は、その夜、中宮殿におわたりしてきた正祖にこう懇願しました。
「王子を産めない私が悪いのです!綏嬪の部屋へ行って(子作りして)ください!」。
世子がいなくなり、時派(南人派)を追いやりたい僻派(老論派)が動き出します。
狙われたのは、恩彦君(ウノングン)とその息子の完豊君(ワンプングン)でした。
ここで関係を整理しておくと、恩彦君は正祖の異母兄弟で、思悼世子と粛嬪の息子。
恩彦君の息子が、常渓君(サンゲグン)豊渓君(プンゲグン)全渓君(チョンゲグン)。
この三人のうち、次男の豊渓君は恩信君(ウンシングン)の養子になりました。
そして長男の常渓君が、正祖側室の元嬪(ホン・グギョン妹)の養子になった完豊君。
ホン・グギョン存命の頃は世継ぎの有力候補だっため、何かと危うい存在なのです。
ってことで、大妃の庇護を受けたキム・ファジンが恩彦君の屋敷を見張らせ、
出入りした吏曹参議キム・ウジン(キム・サンチョル息子)を捕えました。
パク・チョネンの上書によると「完豊君を擁立する恩彦君をキム・ウジンが助けた」。
ついでに文孝世子と宜嬪の死因についても疑念を呈する内容でした。
異母兄弟である恩彦君の追及を正祖は許さず、キム・ウジンの取調べのみを命令。
怒った大妃は「恵慶宮の言うことなら聞くくせに!実家に帰る!」と言い出します。
(大妃には亡き兄キム・ギジュの恨みを晴らしたいという理由があるようです)
正祖と言い争った末に大妃が輿に乗ると、チェ・ジェゴンが輿を止めさせました。
こうして王命ではなくチェ・ジェゴンの命令で、恩彦君と完豊君が捕えられます。
恩彦君夫人ソン氏(「女人」のキム尚宮!)と完豊君夫人シン氏が涙で見送ります。
前話でイ・ビョクが逝去しましたが、その夫人が義父イ・ブマンに願い出ます。
「夫の遺志を継いで洗礼を受けたいのです。活動はしないのでお許しください!」。
「気持ちはわかるが親族が知ると大変だ。私があの世へ行ってからにしなさい」。
このころ天主教の信者は二千人を超え、クォン・イルシン(稷庵)が司教に、
イ・スンフン(蔓川)が神父になりますが、勝手に決めたことが後に問題となるとか。
ある日のこと、カン・ワンスクという女性がヤンの家に旅路の途中で立ち寄りました。
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