蘇州生まれで幼い頃に両親を失い不遇な少年時代を過ごしたチュ・ムンモ神父は、
朝鮮人に似ていた(=西洋人じゃない)ことから朝鮮への派遣が決まりました。
それでも入国は容易ではなく、1年間満州で待機してからやっと果たせたそうです。
チュ・ムンモ神父をかくまってください!とカン・ワンスクがユン・ボベに依頼。
私たちを危険なめにあわせないでください!とソナがカン・ワンスクに抗議すると、
ユン・ボベはソナをカン武将と結婚させることで危険から守ろうとします。
こうしてソナとカン武将は立派な結婚式を挙げてめでたく夫婦♪になりました。
「たくさんの書物を刊行したのに民の暮らしはいっこうに楽にならない・・・」。
チョン・ヤギョンやパク・ジェガたち新進官僚の前で正祖がこぼしています。
旧態依然とした官僚が問題だよねってことで、人事の刷新や不正を追及するそうです。
さて、チュ・ムンモ神父が都城に入ったという噂はまたたくまに広まりました。
そうと知れば正祖も策を講じぬわけにいかず、大妃(貞純王后)はもちろんお怒り。
なぜ大妃様があんなに外の事情に詳しいのかしら?誰が告げ口しているの?と
綏嬪(スビン)パク氏が不思議がってクォン尚宮にこっそり調査を命じています。
今回は、16歳のときに科挙に及第した若き秀才ファン・サヨンが初登場。
彼は昌原の生まれで、チョン・ヤギョンの長子ヤッキョンの婿だそうです。
期待をかけていた若者に「天主を信仰してます」と言われた領議政チェ・ジェゴンが、
どいつもこいつも殿下のお情けがわからないのか・・・!と激怒しています。
彼をめぐっては後に「ファン・サヨン帛書(ペクソ)事件」が起こるそうです。
イ・ビョクが絶食により命を落としてから10年後の正祖19年(1795年)4月、
チュ・ムンモ神父と信者たちが接触を始めミサもおこなうようになりました。
自主的に信仰を広めた人々に神父は涙を流し、人々もまた神父の姿に感動したとか。
ユン・ボベはヤンに内緒で神父をかくまい、マリアという洗礼名をもらいました。
帰宅したヤンは家にカン・ワンスクが来ていたと知り、思いっきり怪しがります。
というかソナは結婚してからもヤンの家でカン武将と暮らしているのでしょうか?
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