世子妃(恵嬪ホン氏)の父ホン・ボンハンが、英祖のことをこう評しています。
「一国の王としては優れた方だが、家長としては問題がある。疑い深く移り気だ」。
そんな英祖は、孫が和平翁主と同じ場所に斑点をもつと知った途端に寵愛スタート。
チョンという名前を与え、世子妃を気遣いますが、思悼世子のことはガン無視です。
英祖は1年後の誕生日の儀式で世孫として定めるも、世子夫妻は出席させません。
キレ気味な世子を恵嬪がやさしくなだめ、泣きながら抱き合う二人・・・。
英祖に可愛がられている世孫は両親よりも英祖のほうになついてしまったそうで、
できれば自分の手で育てたかった・・・と恵嬪が実家の母にこぼしています。
英祖の亡き長男の夫人である賢嬪チョ氏は、豊陵府院君の娘で、出身は豊壌。
13歳で孝章世子の妃になるも、契りを交わすことなく、世子は10歳で早逝します。
子供のいない未亡人として寂しく暮らした賢嬪は、英祖27年(1751年)11月14日、
享年37歳で昌慶宮の建極(コングク)堂の宜春(ウィチュ)軒で亡くなりました。
彼女には孝純(ヒョスン)王后の立場が与えられ、後の恵嬪を揺るがすそうです。
親孝行な嫁だった賢嬪のことを悼む殿下はきっと殯殿に現れるはず・・・!
そう睨んだ女官ムン(賢嬪スタッフ)は、毎晩ハ尚宮と交代して位牌の番をします。
するとついに英祖がやってきて、ムンは焦ったふりをして縫い物と手を隠しました。
何を隠した?と英祖に問われると、手のひらを差し出しておそるおそる釈明します。
「恥ずかしさを隠しました・・・針仕事で荒れた卑しい手が恥ずかしかったのです」。
その言葉に、生母(淑嬪チェ氏)がムスリだった英祖がビンカンに反応しました。
ミン尚宮が慌ててムンを部屋に戻らせますが、やがてお手つきの呼び出しが・・・
と思ったら途中からはムンの夢だったようで、「手のひら作戦」はどうやら失敗。
若い頃は私も同じようなことを考えてたわ!とハ尚宮だけはムンをほめてくれます。
英祖から夜のお呼びがないまま、ムンは洗踏房(セダッパン)へ異動となりました。
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