世子妃(恵嬪ホン氏)が15歳で産んだ長男(世孫)が幼くして亡くなったとき、
世子妃は次男サン(後の正祖)を懐妊中でした。(英祖にはまだ伝えていません)
悲しみに耐えて毅然と務めを果たす世子妃を、英祖も姑の暎嬪イ氏もほめます。
しかし思悼世子は禁書の『政院(チョンウォン)日記』を読みふけっていました。
世孫逝去のニュースを聞いた淑媛ムン氏とお付きのハ尚宮はニ~ンマリ♪
淑媛が王子を産めば一応は思悼世子と同じ側室の息子という立場なので
英祖と不仲な思悼世子を廃位させれば淑媛の王子が世子になれるからです。
ってことで、兄で別監のソングクに「東宮の別監に近づけ」と命じて敵状視察。
実家には贅沢をせず汚い身なりでお腹をすかせている演技を徹底させます。
そのおかげで、淑媛の実家のようすを調査させた英祖は好印象を持ったもよう。
かつて淑媛をイビっていた大殿のミン尚宮が、ついに淑嬪に謝罪しに行きました。
淑嬪はやさしくミン尚宮を受け入れて賄賂まで渡し、大殿に仲間をゲットします。
世孫がいなくなり世子への風当たりが強まるのを世子妃の父ホン・ボンハンが心配。
世子(後の景宗・英祖の異母兄)を嫌っていた粛宗時代の出来事を思い出します。
粛宗は左議政と密談をするも、反対されて世子を変えることはしませんでしたが、
かわりにキム・ヨンテクとイ・チョンギを推薦し、二人の王子の護衛をさせました。
その二人の王子とは、ヨニン君(後の英祖)とヨルリョン君(明嬪パク氏の息子)。
これにより世子を支える少論派と英祖を支える老論派の党争が激化したそうで、
「あれが辛壬士禍(シニムサファ)の発端だった・・・」と振り返るのでした。
若い側室ができて毎日楽しそうな英祖は「10歳は若返った」と噂されています。
しかし淑媛のことを「ずる賢い女」と見抜いている暎嬪(いわゆる古女房)は、
淑媛もいるところで英祖に世子妃の懐妊をしらせて淑媛の野望を思いっきり牽制。
いつもはおだやかな暎嬪を知る尚宮たちにとっては、意外な態度だったようです。
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