光海君2年にジが世子に冊封され、翌年春から夏にかけて世子妃の揀擇を実施。
26人が選ばれて3人が残るんですよ・・・とキム・ゲシ尚宮が教えてあげています。
あら、明るい背景のせいでしょうか、王妃ユ氏が綺麗になったような気がします。
世子妃に選ばれたのは、前話に出てきた判義禁府事パク・スンジョンの孫娘。
(密陽パク氏だというセリフがあったので、「女人天下」敬嬪と同じ本貫ですね)
つまりはパク・スンジョンの息子ジャフンとイ・イチョムの娘の間にできた子供。
義州府尹だったイ・イチョムはこの頃すでに都に戻って副護軍に就いており、
さらに世子嬪の外祖父の座まで手に入れることになりました。絶好調ですね!
光海君3年(1611年)8月2日、世子ジとパク氏の婚礼が執り行われました。
場所は、雄大かつ荘厳に再建された昌徳宮の仁正(インジョン)殿の前庭。
光海君はパク・スンジョンに崇政(スンジョン)大夫の位を与えるとともに、
イ・イチョムには嘉善(カソン)大夫の位を与え、さらに大司憲に任命しました。
イ・イチョムを大嫌いなクォン・ピル、イ・ギ、イム・スギョンが憤慨してます。
庶子を登用してくれ!とホ・ギュンが頼んでも、イ・イチョムは承諾しません。
この頃、7人の庶子によるグループ「江辺七友(カニビョンチルウ)」が現れ、
ホ・ギュンをはじめ、ソ・ヤンガプ、パク・ウンソ、シム・ウヨン、パク・ヂイン、
キム・ピョンソンたちが庶子の地位向上を願って結託していたそうです。
町には、外戚をあざ笑う「宮柳(クンリュ)詩」なるものが流布されていました。
宮柳青青鶯乱飛(クンリュチョンチョンエンランビ)の宮の柳は王妃ユ氏を指し、
ユ・ヒブン兄弟の専横を表し、鶯(うぐいす)はキム尚宮たち側室のこととか。
満城冠蓋媚春輝(マンソンクァンゲミチュンフィ)は官吏が媚を売る様子です。
成均館進士イム・スギョンが、科挙の答案で外戚勢力を痛烈に批判しました。
これを及第させるかどうかで試験官の意見が分かれた後、一応合格に決定。
しかし答案を読んだ光海君は激怒し「及第者から名前をはずせ!」と命じます。
ところがイ・イチョムが「公正ではない!試験管の決定は覆せない!」と反対し、
司憲府と司諫院から上書も届いて大もめ。春の科挙の結果が夏になっても出ません。
お兄様はあの詩をご存じ?そんなにイチョムは偉いの?と王妃ユ氏はお怒りです。
(恥ずかしくて外を歩けません!と言ってましたが、あなたは外を歩かないはず)
落第させてよ~とユ・ヒブンが頼むも、イ・イチョムにこう反論されて仲間割れ。
「あなただけでなく息子や甥まで要職についているのは独裁!謹慎すべき!」。
及第させたら王妃にも累が及ぶしユ・ヒブンの命も危ないと光海君も譲りません。
「詩の作者はクォン・ピルよ。彼を死罪にするならイ・イチョムも弾劾できます」。
八方塞がりのユ・ヒブンはキム尚宮にこう言われ、クォン・ピルに会いに行きます。
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