チョン・ユンス内医正の見立てとチャングムの治療経験の対決!な様相を呈する45話。古い医書や漢方薬の名前がそれはもうたくさん出てきます。一応あらすじのためにメモっていたので、45話の医学関係の用語を中心にご紹介します。
まず、内医正が中宗の病名の手がかりとした医書は『金匱要略(きんきようりゃく)』です。後漢の張仲景という人による書物で、雑病をまとめたもの。そのため記述は詳しくなく、『金匱要略』の短い説明だけを根拠とするのをシン主簿やチョ主簿が不安に感じていたようすが描かれています。
『傷寒論』を記した張仲景は、傷寒病の第一人者として有名な人。中宗の傷寒病を調べるために目を向けられていたのはもっぱら『傷寒論』だったようです。しかし(チャングムに頼まれた)シンビがウンビにしていた質問を聞いた内医正が他の可能性を思いつき、『金匱要略』の中から探し当てたのです。
ちなみに『金匱要略』を内医正に持ってきたのは、仕事がデキないボンボンのチョ・チボク奉事でした。チョ奉事の一族は儒医や御医として活躍していたらしく、『金匱要略』も父が持っていたと自慢していましたね。
そして内医正が下した診断は、書物で知ったばかりの「狐惑病(こわくびょう)」。ベーチェット病によく似た全身多発性症患で傷寒症が長引いて起こることがあるそうです。と告げる。肝腎陰虚(かんじんいんきょ)による肝虚なので、薬の処方は甘草瀉心湯(かんぞうしゃしんとう)と主張します。
対してチャングムは、病名はわかりませんが、実際に治療をした経験があります。傷寒症とは関係なく肝経湿熱(かんけいしつねつ)による肝実だから、竜胆瀉肝湯(りゅう たんしゃかんとう)を使うことを主張しました。
中宗の診脈を許されたチャングムは、書物で調べ、中宗が飲んでいる水も確認した上で、防已(ぼうい)と紅参(こうじん)を処方。料理はニンニクのお粥と梅の漬物をつくらせました。
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