チャンヒビン第53話「王世子冊立と王妃冊立」
王妃チャン氏(オクチョン)の生んだギュンを王世子にしたいと粛宗が発表。
同意しかねるモク・ネソン(左議政)とミン・アム(兵判)を王妃が脅しつけます。
しかし地位を与えてくれた王妃に南人派は強い忠誠を尽くしませんね~。
粛宗が望むことにまで反対するなんて、ちょっぴり不思議です。
こうして臣下たちは全員世継ぎ決定に賛成。
反対意見も遠慮せず言ってみよという粛宗の命に応じて
急ぐ必要はないのでは?と正直に述べたイ・ジョンが怒られてます!詐欺だ~
広い心でイ・ジョンを許せと諌めるチャン・ヒジェ(王妃兄)に(珍しい)
葬り去ってしまえ!と王妃チャン氏は鼻息荒く憤るのでした。
ヒジェの正式な妻となったスクチョン(もと妓生)は
ヒジェの東平君への非礼を崇善君夫人(東平君母)に詫びますが、
詫びなら本人に言えと冷たい態度の夫人。ヒジェの態度に憤っているのです。
ヒジェの母も高慢な態度のヒジェがこれ以上出世することを望まず、
けれどもスクチョンはさらなる出世が王妃のために必要なのだと説きました。
気に入らないことがあるたびに東平君宅へおしかける淑安公主。
まだ字も読めぬ3歳の王世子にするなんて!と怒りをぶつけられた東平君は、
淑安公主を“南人派の犬”と例え、息子チサンの死を犬死だと言い返します。
粛宗は、奏請使・東平君の旅荷を前例以上に与えるよう特別に配慮。
東平君は西人派を受け入れて朝廷を安定させろとミン・アムに提案し、
粛宗15年、副使シン・フジェ・書状官クォン・ジと共に清へ旅立ちました。
キム・チュンテクは南海(ナメ)に戻り、大叔父の書いた小説「謝氏南征記」を入手。
民が読めるようにとハングルで書いたと大叔父は話し、
チュンテクは両班や王が読む分は漢文に書き直そうと話します。
またまた淑安公主から押しかけられた崇善君夫人は、廃妃ミン氏を訪問。
すると廃妃は熱を出し、医者も呼ばないままで寝込んでいました。
崇善君夫人の廃妃宅訪問はすぐにヒジェの知るところとなり、
ヒジェはミン・ジャンドに猛烈に抗議。ヒジェの失礼な態度に腹を立てながらも、
廃妃の部屋を夫人に探ってもらったのだとミン・ジャンドはごまかします。
廃妃が病気と知ったヒジェは納得し、ミン・ジャンドに謝るのでした。
そして粛宗16年6月16日、ギュンが王世子に冊立されます。
王子が幼いことに配慮して熙政堂(ヒジョンダン)内で儀式が行われたそうです。
儀式を終えた王妃は、廃妃がみじめに寝込んでいると知り、ニヤリと笑います。
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この頃から、それまで控えめだったスクチョンが俄然攻めに転じてきて見ていてハラハラしました。ヒジェ、王妃の兄だからって、よく出世できましたよね…。また粛宗の臣下や妻たちへの謎の問いかけ&反応は毎回笑えます。反対意見も、と言わせといて実際に言うとお咎めになっちゃうんてますもんね(w_-;)