世宗と昭憲王后の長女であるジョンソ王女(=貞昭公主)が逝去しました。
その頃、兵曹判書チョ・マルセンの悪事を知った集賢殿のメンバーは大ショック。
マルセンの手下だったキム・ムンを集賢殿博士チェ・マルリが殴り飛ばします。
シム・オン(昭憲王后の父)を追い詰めた全員の罪を追及しよう!と団結するも、
兵曹佐郎チョン・インジだけが「マルセンは必要な臣下なのだ」と冷静に反対。
お前ら今がどんなときかわかってるのか?とファン・ヒも集賢殿に怒鳴り込みます。
集賢殿大提学ピョン・ゲリャンだけは(自分も含めた)罪人の追及を認めました。
上奏を拒諫(諫官からの進言を拒むこと)すべきです!とファン・ヒが進言。
それは暴君のすることと同副代言ユン・フェが反対する横で世宗がついに
「重臣たちが必要だから我慢したのでなく老獪な彼らが結託するのが怖かった、
そして娘は死んでしまった、もう真実に目を向ける・・・」と復権を決意します。
シム・オンを(引退したパク・ウンと共に)審問した領議政ユ・ジョンヒョンは
そっちがそう来るのなら受けて立とうじゃないか!とユン・フェに宣戦布告。
マルセンは軍権を中軍将チェ・ユンドクにさっさと譲って「早く発て」とせかし、
ホ・ジョはファン・ヒに「(オレの代わりに)明へ行けばあ?」と資料を投げ、
領議政は世宗の側近が都から離れる人事案を提出するなどしてこぞって大反撃。
“シム・オンと明に同行して彼の忠心を知っている唯一の王族”である敬寧君は、
集賢殿が自分に協力を要請すると読み、重臣との敵対を避けるべく都を離れます。
娘を失った王妃は、母アン氏と久しぶりに母娘の会話を交わして泣き崩れます。
世宗が復権問題で悩んでいると知った王妃は、領議政を中宮殿に呼びました。
「そなたと家族は守るから、その手で選んだ賢者(世宗)に仕えてください」。
そして慶昌府(キョンチャンブ=王后の公務遂行機関)から公式見解を出します。
「父の復権は望まぬ、当時の責任者への処罰も道理に合わぬ、論争をやめよ」。
それでも追及はやめない!と張り切る集賢殿に領議政ユ・ジョンヒョンが登場。
シムを逆徒にした主犯は自分だから私の辞職を条件に取引しようと持ちかけ、
夫人の復権は私が上奏するからこの辺で終止符を打たないか?とお辞儀しました。
領議政もパク・ウンも最後はいい人になって去ったけどマルセンはしぶといです♪
(おそらく)シム・オンのお墓を王妃と訪れた世宗が王妃にお礼を言うと
「泣く場所が必要なときは中宮殿にお越しください。一人で辛かったでしょう?
国王は国母が一番に心を寄せる民なのに辛い思いをさせてしまいました・・・」。
ジョンソ王女が没後2年が経った頃、家族の連座は不当としてアン氏が復権され、
世宗13年(1431年)には冤罪をふせぐための証拠主義が導入されたそうです。
しかしシム・オンが復権されたのは、世宗が崩御して1年後のことでした・・・。
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