仁顕王后の復位にあわせて貴人キム氏も復位され、二人は涙の再会を果たします。
さんざん陰口を叩いていたキム氏も大人になったのか、およよと泣き崩れてます。
一方、禧嬪に格下げされたオクチョンはやけ酒くらって粛宗への恨み言三昧。
もし王妃様が若くして死んだら・・・?とスクチョン(ヒジェ後妻)が口走り、
速攻でオクチョンに否定されていますが、これ、後々のカギになりそうですね。
その夜、監察尚宮が粛宗に謁見を申し出て、発見した“妙な書簡”を提出します。
中宮殿の主が交代する際に見つかったそれは、ヒジェからオクチョン宛の例の手紙。
処理をめぐって大臣たちも読んだ末に粛宗のところにまわってきたのでした。
“廃妃の処理は仰せのとおりに進めている”という記述があり、ヒジェは逮捕。
拷問に耐える兄を思い、オクチョンは王妃への憎しみを募らせます。
その王妃は“東宮のために”とヒジェの赦免を粛宗に願い出ていました。
粛宗は、手紙の内容を朝廷が知っている以上無視はできないのだと打ち明けます。
ついに拷問に焼きゴテが登場。オクチョン母は心身ともに弱り果てています。
そんなとき領議政ナム・グマンが、世子のため国のためにとヒジェ救命を懇願。
極刑を逃れ済州島に島流しとなりました。ホッとしている王妃に比べ、
キム氏は禧嬪が無事だったことをとても残念がっています。
母を心配するけなげな世子(後の景宗)に粛宗のおもかげを感じたオクチョンは、
イ氏(王室の苗字)は敵だ!!と叫びながら半狂乱でお仕置き。
ひと眠りして目覚めたオクチョンはわが子を叩いたことをすぐさま後悔しますが、
怒った粛宗が就善堂(チソンダン)に禁足令を出した後でした。
うなされて母を呼び続ける世子。オクチョンもわが子を思いうなされており、
それを聞いた王妃は心を痛め、禧嬪を許してあげてくださいと粛宗に願います。
ところが粛宗は、どのみち母子の縁を切らせるつもりだったと話します。
“禧嬪の性格だと東宮に恨みを植えつけるから”だそうです・・・・
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これもこちらの丁寧かつ面白いあらすじが私のひねくれた先入観を粉砕してくださってるからでしょう(笑)
キム・ヘス版と違って夜の場面が妙に暗かったりしますが、考えてみれば当時は蝋燭の明かりが唯一の光源だった事から普通の明るさなのかも知れませんね。
あと頭の鬘がこちらではグルグルバージョンではない事が多いですね。
史実ではこちらの方が忠実なのかな?と思ってましたが慣れてしまうとたまに出てくるグルグルが古く見えてしまう私です。
ヨコですが4行目(ヒジェ五歳)って…(--;
一瞬ヤンチャ坊主のヒジェを想像して悩んでしまいました。