「仁顕王后伝」によると、禧嬪(=オクチョン)は世子に免じて
永粛宮就善堂に住み、王妃と変わらぬ待遇を与えられていたにも関わらず、
オクチョンは会うたびに世子を叩いたため世子は病気になったそうです。
世子が母に会いたいと泣くと粛宗は王妃(仁顕王后)と遊ばせたとか・・・。
後ろ盾をなくしたオクチョンは宮中でさびしい毎日を送っていました。
粛宗は実母の悪口を吹き込み王妃をほめ、世子も王妃になついているようす。
こっそり抜け出してきた世子と密会するひと時だけが幸せなのです。
誰よりも長生きして息子が王になるのを見届ける!と鼻息荒いオクチョンに、
意外なしらせが舞い込んできました。淑媛チェ氏が妊娠七ヶ月だというのです。
粛宗は大喜びでチェ氏を淑儀(スギ)へと昇進させました。
そして“下賤ゆえに力みもせずにするっと息子を産んでしまった”とか。
貴人キム氏はじめ側室たちは侮蔑と悔しさでその報告を受け止めています。
チェ氏は淑嬪に昇進し、部屋には宝慶堂(ポギョンダン)という名を与えられ、
王子はクムと名づけられ、君号はヨニン君、号は養性軒(ヤンソンホン)に。
(この王子が後にオクチョン息子の後を継いで王になる英祖ですね)
任命式の書状のお習字がけっこうヘタくそで笑えます・・・・
そして6年後の粛宗26年、10代半ばとなった世子は、
才徳を兼備した僉正(チョムジョン)シム・ホの娘を正室に迎えていました。
後に端懿王后となるこの嫁は、粛宗と王妃が選んだそうです。
世宗の妻・昭憲王后と同じ家門・青松沈氏の出身ですね。
落ちぶれて自暴自棄のオクチョンに、チョン尚宮がある噂をささやきます。
王妃の身体には腫れ物ができ病に犯されているというのです。
オクチョンは息子夫妻を引き連れて6年ぶりに(!)中宮殿へ行きました。
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