左議政キム・ジョンソの提案に従って端宗が身を寄せることになったのは、
姉の恭恵(コンヘ)公主と参判チョン・チュンギョン息子(=寧陽尉)夫妻の家。
後見役を奪われた恵嬪ヤン氏(世宗側室)は大憤慨ですが引越しは決行され、
屋敷への出入りや端宗との謁見は左議政が厳しく管理することになりました。
「王の長子が栄えるよう白岳山(ペガクサン)の裏に宮殿を建てたいので
昌徳宮(チャンドックン)を補修して大殿を移そうかと思うのです」と
相談のような事後報告を左議政キム・ジョンソから受ける首陽(スヤン)大君。
目が届く寧陽尉宅に端宗を住ませて守り政治からも離したいらしい左議政は、
殿下にもしものことがあったときに後を継ぐのは誰でしょう?と問います。
殿下に何かあったらワタシは殺されますなあ♪と首陽大君は一瞬笑った後、
左議政は先王の顧命を受けたのか?私は殿下の叔父!私心はない!と迫力の怒声。
大君はその存在だけで皆を惹きつけています・・・と答えて去る左議政でした。
抗議なら学者らしく上書で!政治に首を突っ込むな!とチョン・インジが叱るも、
理由のよくわからない突然の宮殿移転に反発した集賢殿の学士らは座り込みを開始。
なんで移転したの?と領議政ファンボ・インも左議政キム・ジョンソに聞いてます。
政局混乱とキム・ジョンソの立場の悪化を喜ぶハン・ミョンフェとクォン・ラム。
そんな二人の側近を首陽大君が叱り、叱られちゃったハン・ミョンフェは、
「盗賊には二種類ある、ただ盗む者と深く考えて盗む者だ・・・」とつぶやきます。
その「考えて盗む」ほうの首陽大君の悩みは、左議政を消す名分がないこと。
独裁しているキム・ジョンソも、逆から見れば忠臣。忠臣は殺せないからです。
都を出たイ・ヒョルロが「左議政が決心されました!」と安平大君に報告。
安平大君がコトを起こしたら後に続いてくれるでしょう!と言いながら、
吉日として選んだ決行日「十月戊戍(ぼじゅつ=15日)」を書いた紙を渡しました。
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