吏曹判書ハン・ミョンフェと世子妃ハン氏は殯宮で無言で向き合い続けていました。
この二人は言葉にしなくてもテレパシーで会話ができるようです。
世子が亡くなったのはソン・ヒョンスや魯山君(ノサングン)の呪いだ!と怒る世祖。
枝や幹を切ろうとも根が残っていればまた生える!と力説し、
錦城(クムソン)大君、府院君ソン・ヒョンス、魯山君の極刑を命令します。
世祖のことがおっそろしい重臣たちは異議を唱えることはもちろんできず
かろうじて領議政チョン・インジが絞首刑という方法にだけ反対しました。
「私は関知しない」と世祖から王命書を投げられた礼曹判書ホン・ユンソンが
承旨や承伝色を通さずに私に直接渡すのはどうして?とミョンフェに質問。
王命のとおりに賜薬で絶命させたら褒美はもらえないぞ♪と教えられたユンソンは、
寧越(ヨンウォル)に向かう禁府都事にある残酷な命令を耳打ちしました。
ソン・ヒョンスはすでに命を断っていましたが、もう一度首を絞められます。
錦城大君イ・ユは意外なことに素直に賜薬を飲み干しました。
そして寧越。魯山君がソン氏(定順王后)お手製の綿入りの服に顔を埋めていると、
身なりを整えて王命を受けよ・・・という禁府都事の声が聞こえてきました。
幼い魯山君へのあまりに無常な王命を伝えられずに泣き崩れる都事。
魯山君はムシロが敷かれているのを見ると王命の内容を理解し、
最後に父上に挨拶したいと願い、都の方角へ向かって拝礼を始めます。
すると拝礼している途中に、役人の一人がとつぜん魯山君の首を締め上げました!
『燃藜室(ヨルリョシル)記述』によると、その官吏は体が動かなくなり死亡。
王命により川に投げ捨てられた魯山君の両手の指はきれいに水面に出ており、
寧越の戸長オム・フンド(前話登場)と地元有志らが意を決して埋葬したとか。
イ・ギが書いた『松窩(ソンワ)雑記』にも粗末な扱いがされたと記されており、
どの記録が正しいにせよ一時放置されていたことは確かだと推測されるようです。
ただ『朝鮮王朝実録』では魯山君がみずから首をつり葬儀が行なわれたとあるそうで、
「歴史はまさに勝者の記録だ」というナレーションが流れました。
京畿道高陽県では、世子の葬儀がしめやかに、重臣総出で行なわれていました。
世宗21年に生まれた懿敬世子イ・ジャンは体格がよく顔立ちも端正♪で
世宗がことさら可愛がっていました。しかし世祖即位の三年後の9月に20歳で逝去。
宮殿へ戻ってみせる!と心に誓いながら幼子とともに家に戻った世子妃ハン氏を、
執事イム・ウン、ヒャンイ、キルリョ(ユンソン側室)らがひれ伏して迎えます。
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