<「韓明澮ハンミョンフェ~朝鮮王朝を導いた天才策士~」あらすじ59話>

世祖11年(1465)年4月7日、円覚(ウォンガク)寺の落成式がおこなわれました。
僧侶128名が出席し見物人は2万名だったと『実録』に記されているそうですが
そのわりには画面に写ってる人数が少ないロケなのが気になります。
各側面に仏と菩薩が彫られた石塔や、銅5万斤で作った大鐘も続いて完成。
今もタプコル公園に残る石塔は石造美術の名作として国宝2号に指定されています。

世祖の体調が悪そうですね。顔をピクピクさせ、全身のかゆみに悩まされています。
民の間では世祖の治らない病や王室に続く弔事は天罰だと噂されており、
次世代の人材を思うハン・ミョンフェの脳裏に亀城君(クィソングン)が浮かびます。
亀城君は世宗の四男臨瀛(イミョン)大君の息子で、このとき27歳。
重職には就いていないものの、気概にすぐれ、世祖の寵愛を受けていました。

そして最近ハン・ミョンフェに近づいているユ・ジャグァンも27歳。
ユ・ジャグァンはユ・ギュの息子で靖難功臣ユ・ジャファンの異母弟でしたが、
庶子という身分のために出世の道を閉ざされ今は門番をしていました。
次にハン・ミョンフェを訪ねてきたのは、故クォン・ナムの婿ナム・イ。
文武にたけているのに気の毒です・・・と友人ユ・ジャグァンのことを評した後、
ハン大監の肩入れで出世したといわれたらいやだから頻繁には訪問しません!と
若さゆえの自信と野心を覗かせて、「自分を買いかぶるな!」と叱られます。

世祖12年(1466年)、世祖が官制を改変して間もない2月13日のこと、
世子(海陽大君)の側室である昭訓ハン氏が男児(後の斉安大君)を出産しました。
病が快復しない世祖は、金剛山や各地の寺の巡礼と、温泉めぐりをすることに。
同行した重臣らに上院寺へのお布施を無理強いしてますが、いいのでしょうかね?
このとき世祖は、木仏文殊童子像の中に自分の寝衣を入れました。
その記録はなく、519年後に解体したら当時の姿のまま見つかり世を驚かせたとか。
(現在のお寺の映像が流れるのですが・・・部屋の日めくりカレンダーが笑えます)

世祖12年(1466年)6月8日、平安道からヤン・ジョンが3年6ヶ月ぶりに帰還。
彼は世祖の12年の在位中9年を外地で過ごしたのにエラくなったわけでもなく
君号も以前と同じ楊山君(ヤンサグン)のままという待遇でした。
久しぶりに世祖と謁見して病で気力のない姿を目の当たりにしたヤン・ジョンは
譲位して天寿を全うしてもらうべき!と領議政ク・チグァンに怒りをぶつけます。
するとク・チグァンは、先日起こった飲み会でのエピソードを話し始めました。

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