王妃ユン氏とチョン昭容を占った易者が遺体で発見され、ちょっとした事件に。
仏像を後ろ向きにしたのは易者の仕業でその口封じをされたのです・・・と
ハン・ミョンフェ(上党君)の側妻ナンがチョン昭容の関与を推測しています。
事件は捕盗庁から義禁府の管轄に渡り、単なる民の死ではなくなりそうです。
朝廷では、世祖の功臣で領議政のチョン・チャンソンが辞職を願い出ました。
ファン・ヒやメン・サソンのように長く仕えてほしいと成宗が引き止めます。
吏曹判書カン・ヒメンの家に預けられている王子が喉に何かを詰まらせました。
夫人アン氏がコトを荒立てず尚宮たちをかばうというエピソードが登場します。
王子と会いたいです!私に育てさせてください!と泣いて願う王妃でしたが、
王子は王妃だけの子ではありません・・・と仁粹大妃は認めません。
オエーっと苦しむチョン昭容を見たオム昭容が、頃合いからみて懐妊です!と断定。
他人のおわたりの日もちゃんと覚えているなんてさすが~!と妙に感心しました。
ライバルの懐妊を知り危機感を覚えた王妃は、実家にあるものを用意させます。
それは、儀式の方法や呪文が記された『方禳書(パンヤンソ)』と砒霜(ひそう)。
貧しさゆえに親戚にも見捨てられた辛い過去があるユン家は、生き残るために承諾。
王妃兄で宣伝官のユン・グが前谷城県監イ・ギルブンの側妻から書物を調達します。
成宗8年(1477年)3月14日、王妃みずから桑の葉をつむ親蚕(チンジャム)を主催。
その際、王妃のほかに外命婦と内命婦から4名ずつ選ばれるそうです。
ところが、懐妊したチョン昭容が先日の宴に続いてまた欠席~。
ムチ打ちするわよ!殿下からもお許しをもらってるわ!と王妃が怒ります。
王妃様が手を下さなくてもご実家が行動するから大丈夫です!と女官サムウォル。
チャン昭容が王妃と王子を呪っているという投書が慈寿(チャス)宮に届きます。
慈寿宮は、仁粹大妃の亡き夫の側室だったクォン淑儀が住んでいる私邸。
クォン淑儀の兄から内侍キム・チョソンを経てその手紙を受け取った成宗は、
しばらくは宮女の動きに目を光らせるも何も起きず、王妃に疑いを持ちました。
ある日、中宮殿を突然訪ねて手紙を見せると、王妃がしらじらしく驚いて憤慨。
すると、なぜ自分を省みずにチョン昭容だけを攻めるのか?と成宗が怒り出し、
あの黒い箱を持って来い!と王妃がとっさに隠しきれなかった箱を指差しました。
3月28日に起こったこの事件の経緯は『実録』にも詳しく記されているそうです。
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