出陣でそれどころじゃない太上王・太祖はソン・ソンニンを適当にあしらって終了。
開京に戻る道中で、咸興へ向かう無学大師とばったり遭遇したソン・ソンニンは、
いま咸興は大変なことになっているから行かないほうがいいと大師を止めます。
征南大将軍チョ・サイが率いる決起軍が、西北面を通って兵を増やしながら進軍。
歴史上「チョ・サイの乱」と呼ばれるこの事件は、故神徳王后の遠縁チョ・サイが
世子バンソク(宜安大君)の恨みを晴らすために決起したものとされています。
実際の主導者はどう考えても太祖ですが『実録』にはそうは書かれていないとか。
太祖の動機は、息子との確執か、失った権力への未練かはわからないそうです。
父上をそそのかしたヤツらを決して許さない!とようやく挙兵を決意した太宗は、
チョ・ヨンムやイ・チョヌらを地方の都統使などに就かせて指揮を任せました。
父と戦うことになった落ち込みようは激しく、食事もとらず大殿にこもりきり。
いつものようにお慰めしようと訪ねた善嬪アン氏は、怒鳴られてシャットアウト。
ところが王妃(元敬王后)はすんなりと入室を許され、夫婦の絆を見せつけます。
なぐさめてくれる糟糠の妻を相手に、科挙に及第したときの昔話をする太宗。
武官の家から文臣が出たと太祖は踊り出すほど喜んで可愛がってくれたそうです。
これまで恨めしく思ったこともあっただろうが許してくれ・・・と王妃に謝ると、
元子は元気にしているか?元子には聖君になってもらわねば・・・と話しました。
その元子(譲寧大君)はクォン・グンに「お祖父様は乱を起こしたのですか?」。
泣いて父のことを心配します。この頃はまだイイ子ですね(←うめ子しつこい)。
武将イ・チョヌが自信満々で出陣するも、その名を聞いたチョ・サイは大笑い。
イ・チョヌは「体力はあるが短気で知力に乏しく張飛のような奴」だからです。
その張飛なイ・チョヌが夜に奇襲をかけると、陣営はもぬけの殻で逆襲されます。
イ・チョヌは傷を負ってあえなく退却し、いっそう盛り上がるチョ・サイの軍。
そこで太宗がイ・スクポンに出兵を命じると、自信がありませんと言われました。
「敵が西北面に無血入城して勝てたのは、民が龍大旗(=太祖)を怖れたから。
どんな総帥でもこの戦は無理です。勝つ方法は一つ。殿下が親征なさいませ!」。
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