ホン内官たちを二日間も部屋の外で待たせた後で、太上王・太祖がようやく出発。
チェ尚宮(イラン)も馬に乗って帰っていますが、女官も乗るって珍しいですね~
太祖が白羽矢の他に鉄槌を携えていることに一抹の不安を感じていた無学大師は、
都に到着する日になって鉄槌が消えていることに気づいて訝しがっています。
太祖の帰京をソン別監が早馬で宮殿にしらせると、太宗はこっけいなほど大喜び。
会う人すべてに拝礼をしたいほどだ♪と王妃(元敬王后)にもいたく感謝します。
しかし、上王・定宗やハ・リュンや王妃は手放しで喜べず、素直に喜べません。
「信じられません、あの頑固な太上王様がたやすく帰ってくるでしょうか?」。
万一の事態に備えるべきというハ・リュンと王妃の進言を、太宗がしぶしぶ了承。
ハ・リュンは円周が10尺を超える「太い柱」のある立派な歓迎門を作らせました。
ミン兄弟に世子冊立の話をされたイ・スクポンが「りょうかーい!」と請け負い、
この機に王室の安泰のために世子を決めるべきですと太宗に進言してくれました。
わかってはいるけど父上を迎えた後だ・・・と今回も後回しにしそうな太宗は、
世子を冊立すべきと都承旨パク・ソンミョンからも言われてやっと納得すると、
世子を取り巻く権力集団(=ミン家)が増長することへの危惧を打ち明けました。
イ・スクポンは善嬪を訪ね、「野心を抱かず生きるのが幸せの道です」と断言。
その夜、元子を世子にすると言われた王妃が嬉し涙を流して太宗に抱きつきます。
このイチャイチャで四男(誠寧大君)ができたのでしょうか?(余計なお世話)
チョ・ヨンムに朝廷への不満を抱かせようと、イ・ゴイがあれこれと吹込み中。
きっとまた波乱が起こると言われても、能天気なチョ・ヨンムは信じられません。
太宗2年(1402年)12月8日、金郊駅(クムギョヨク)に建てた歓迎門に全員集合。
涙を浮かべて父・太祖に歩み寄ろうとする太宗を、ハ・リュンが制止しました。
すると太祖が太宗に向かって矢を放ち、太宗はとっさに柱に隠れて命拾いします。
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