南人派と西人派の政争は、王室の弔事の喪服論争に端を発していました。
このため、粛宗5年の頃は、礼論の上奏は厳禁とされていたそうです。
ホ・ギョン(ホ・ジョクの庶子)に辱めを受けたチャオク(ソ通訳官の妻)は
あの日以来実家で寝込み続け、ホ・ギョンはチャオクを側女にと望んでいました。
光城府院君キム・マンギ(王妃父)とキム・ソクジュ兵判(大王大妃従兄)は、
ソ・ヨナム(チャオクの舅)に暴行事件を告発するようすすめます。
しかし嫁をこれ以上傷つけたくないソ・ヨナムは事件を公にすることを拒みました。
50年前の丁卯胡乱で両班の子女が女真族に乱暴されたとき、
女を守れるのは国の過ちで女の罪ではないと仁祖大王も命じました・・・という
ソ・ヨナムの立派な主張の前に二人は何も言い返せません。
王妃(仁敬王后)が王室に伝わる産児浴(サナソク)にすがる一方、
チャン淑媛(=オクチョン)は民に伝わる俗説をかたっぱしから実行しまくり。
スプーンで片目を隠して太陽を見るオクチョンの姿は視力検査にしか見えません。
王妃がおまじないに励んでも粛宗がおわたりしていないと知った大妃は、
オクチョンが母を駕籠で入宮させていることを粛宗にチクります。
その現場をみた粛宗は、王の寵愛を笠に高慢に振舞うのか!とオクチョンを怒鳴り、
オヨヨ~とすがるオクチョンを振り切って大殿へ戻ります。
しかし粛宗は、妖艶(?)で愛しいオクチョンの姿を思い出しては後悔しまくり。
なのにオクチョンから詫びの連絡がまったくないことを怒って中宮殿へ行くと、
ちょうど王妃がおまじないから戻ったところで、粛宗を感動させました。
ヒジェ(オクチョン兄)はチャン・ヒョン(叔父)のもとで働いています。
ある日、ソ・ヨナムから事件にまつわる西人派の動きを打ち明けられたヒョンは、
すぐさまチョ・サソク参判(大王大妃従弟)に報告。
サソクは大王大妃(荘烈王后)とオクチョンにしらせに走りました。
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