粛宗10年、西人少論派のナム・グマンが右議政になりました。
西人老論派ソン・シヨルの弟子チェ・シヨンは、
師を裏切った罪人だとして少論派のユン・ジュンを弾劾。
それに対して少論派パク・セチェが上奏を起こしたそうです。
外戚は退け!隠居したソン・シヨルは政に関わるな!と非難を受けている
老論派(キム・ソクジュら)は、ユン・ジュンの仕業だ!と少論派を批判しています。
同時に南人派も警戒せねばならず、彼らにとってはオクチョン再入宮も脅威。
18歳になった王妃(仁顕王后)に子供ができることを強く願っていました。
入宮を待ち続けるオクチョンは28歳。自分を“しおれた花”と評しています。
チョ・サソク参判(大王大妃従弟)が大王大妃(荘烈王后)に入宮をせかしても
聞き入れてもらえません。もはや政争や実家の興隆に興味を失ったかのようです。
オクチョンは今度は東平君親子を大王大妃殿へ行かせるも、無駄足に終わります。
その動きを知った清城府院君キム・ソクジュ(故明聖王后従兄)は、
チャン氏を東平君宅から出せ!と明聖王后の遺言をカタにサソクを叱り飛ばすも、
そのあとでめまいがしてふらふら~~っとしてます。
王妃は喪中だからと肉や魚を食べず、顔色が悪いようで・・・。
ここは王室、万民と世継ぎのために食べ(て交わり)なさいと諭す大王大妃。
それを聞いていたサソクと東平君は、大王大妃がすっかり欲を捨て
王室の最長老として正しく生きていると悟るのでした。
そんな折、キム・ソクジュが逝去し、オクチョンに再び希望の光が差します。
キム・ソクジュは、領議政キム・ユクの孫で兵判キム・ジャミョンの息子、
清風府院君キム・ウミョンの甥。孝宗時代に進士試に、顕宗3年には文科に合格。
都承旨、吏曹参判、副提学、吏曹判書、兵曹判書を経て右議政までのぼりつめ、
庚申大黜陟でホ・ギョンの謀反を収めて保社功臣と称されて清城府院君となり、
従妹の明聖王后キム氏が逝去した翌年、51歳で亡くなったそうです。
身内の不孝続きに落ち込む粛宗を励ましたい王妃は、懐妊に向かって努力。
なのに粛宗は、淑媛(=オクチョン)に会いたいよ~♪と大王大妃にこぼし、
普通の家でも喪中は側室を迎えぬものですよ・・・と諭されました。
そんなとき、王妃が懐妊したというしらせがもたらされ、粛宗大喜び!
世子宮の手入れをさせ、名前を考え、そのときにまたオクチョンを思い出します。
オクチョンは悔し涙を流し、大王大妃は祭壇の王妃に吉報を報告していました。
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このへん、キムヘス版とかなり離れてますね。オクチョン28歳、なんだか私まで焦りましたよ(でも女優さんが無理してるだけで、もっと若そうに見えるなあ…)
キムヨンエさんは大好きですが、莊烈としてはキムヘス版カンプジャさんが好きかも…。お行儀のいい最長老、あんまり楽しくないかなあ(-_-#)