病気の父・驪陽府院君ミン・ユジュンに典医を送ってほしい王妃(仁顕王后)を、
外につかわすような暇な典医はいない!と扉越しに怒鳴りつけて追い払う粛宗。
お付きのキム尚宮らは気の毒な王妃を見てられないようで涙を流しています。
父上の病気は不徳な私のせい・・・と祭壇を用意させ沐浴しようとする王妃を、
意地悪なオクチョンが“からかいに”訪ねてきてしらじらしく慰め、
私から殿下に頼んでみます♪と王妃(とオ尚宮)の神経を逆撫でしまくり。
天は遠くにあっても甘く見るな・・・とオクチョンの行いを諌める王妃でした。
短気な粛宗はみんなの予想どおりすぐに後悔しはじめ、王妃父に典医を送ります。
ムカついたオクチョンは粛宗の横でざーとらしく悪夢にうなされ(寝汗もばっちり)、
夢にしては具体的な描写をペラペラとしゃべって王妃に疑いを向けます。
粛宗が内殿に行くと、王妃がろうそくを前に呪いの儀式(実は父の快復祈願)中!
粛宗は祭壇を積み木崩しばりにぶっとばし、内殿の女官を捕らえさせました。
高慢なオ尚宮も妓生になるしかありませんとチョン尚宮が嘲笑しています。
拷問を始めようとする粛宗をオクチョンがオヨヨ演技で翌朝まで延期させました。
貴人(キイン)キム氏は、仁義と体面を重んじる王妃のことを堅物だと罵り、
王妃があの女ギツネを殺しても文句を言われないのに!と憤慨。
王妃様が窮地に陥った発端はあーたのせいでは?とコ尚宮が思わず非難してます。
その夜、仁顕王后の父である驪陽府院君ミン・ユジュンが享年58歳で逝去します。
粛宗は怒りを収め、盛大な葬儀を命じ、女官たちも釈放させました。
仁祖8年(1630年)、江原道の監察司グァンフンの息子として生まれたユジュンは、
21歳で文科に合格し領敦寧府事に。常に礼儀を重んじ、老論派の重鎮として率い、
ソン・ジュンギルに学び、ソン・シヨルに師事し、経書に通じ名声を得たそうです。
パク・テボは父のパク・セダンに例の側室志願女のことを相談します。
すると、
チョ・グァンジョにも同じことがあった・・・(!)と父。
“子は正しく育てるべきなのにみだらな女の願いはとても聞き入れられない”と
チョ・グァンジョは女性の父親に断り、その女性は死んでしまったのだとか。
一方的に女性の非を責めたチョ・グァンジョが悪い・・・と言われているそうで、
パク・テボはついに女性の家を訪ねました。奥方は気が気じゃないようです。
またキム氏、キムヘス版よりはいいけどうるさくて権謀術数は空回り気味ですね(-_-#)