第25話「ソンジョン王の崩御」
1608年(宣祖41年)、ソンジョが57歳で崩御しました。
世継ぎに関する遺言はなく、王妃インモク(仁穆王后)は寝殿に誰も入れず、
領議政ユ・ヨンギョンが到着すると、皇太子と重臣らをやっと入室させました。
大臣たちは皇太子クァンヘ君(光海君)の即位が妥当と話し、
王妃もそうするつもりでしたが、領議政と会えとインビン(仁嬪)がすすめます。
王妃と王子を守るためという口実でインビンの王子が即位しては大変!
ヨンギョンと王妃を会わせてはならない!と、ケシはヨンギョンを足止めさせ、
中宮殿を出入り禁止にさせます。誰にも相談できず不安に陥った王妃は、
道理に従い皇太子を次王に命じるしかないと言い出しました。
そこへオム尚宮が口を挟みます。薬食は東宮から差し入れられたものです、
皇太子を廃位する名分をつくればよいのです・・・と。
証拠は作ればよい!と渡りに船とばかりにインビンも飛びつきました。
ケシが自室ではなく東宮殿にいると聞いたオム尚宮らが東宮殿へ向かうと、
薬食にあたった嬪宮の看病をしている!と皇太子に怒鳴られて追い返されます。
“薬食に当たった”とすることで、毒入りでないと暗に主張しているのかな?
もうなす術がないと悟った王妃は、国璽を東宮殿へと送りました。
それが大臣でなく王妃一人の決定と知った皇太子は激怒して受け取りを拒み、
再度お渡してみよう・・・と大臣たち(ヨンギョン除く)が話しています。
そんな折、“去年の冬にソンジョが書いた手紙”なるものが中宮殿から届きました。
“兄弟仲良く過ごせ”というなんてことない内容のその手紙ですが、
皇太子に継げってことだよね?と大臣たちは納得して再び皇太子の即位に同意。
有志を集めたカン・ホンリプも賓庁を囲み、すぐに即位式を!と求め始めます。
崩御当日の即位式は異例ではあるが成宗時代に前例があると言われても、、
もちろん領議政ユ・ヨンギョンが一人で反対してまーす。
しかし大臣らが皇太子の即位を認めてと知った王妃は決断を下し、
よき王になってください・・・と大君のことを言外に含ませて御璽を渡しました。
ところがその直後、ソンジョが7人の重臣に残した遺書の写しを王妃が公表。
くれぐれもヨンチャン大君(永昌大君)をよろしくと書かれたその手紙に、
ヨンギョンだけが何かとこじつけてしつこく食い下がるのでした。
こうして1608年(光海元年)、粗末な行宮の西庁で朝鮮15代王・光海君が誕生。
辛い皇太子生活を17年送った後の即位でした。
善政を行う!と光海君は誓ってますが、ケシは邪魔者の粛清が先だと考えてます。
イ・イチョムはソンジョの王命に従いおもむろに流刑地に向かい始め、
単細胞ユ・ヒブンはそれを理解できないようです・・・
スポンサード リンク