第32話「白い唐衣」
紆余曲折の末に昌徳宮が完成し、クァンヘ君(光海君)とケシは大満足。
その頃、都に戻ったものの閑職の副護軍に就いて暇を持て余すイ・イチョムを
姻戚である判義禁府事パク・スンジョンが訪ねて談笑していました。
皇太子妃候補26人最有力なのはパクの孫(=イチョムの外孫)だからです。
妃選びの日、ヨンチャン大君(永昌大君)をおぶって遊んでいた皇太子がすっ転び、
通りがかったウォンピョがすかさず助け、皇太子つき女官はケシに罰を受けてます。
大妃(仁穆王后)父キム・ジェナムの隣に住むケシ母の家で、
なぜかキム家の執事ファンさんがヤン主簿にお仕置きを受けています。
理由は、ファンさんがケシの母に頭を下げなかったから。
キム家に嫌がらせをしつつ、ケシは母にいい思いをさせているようです。
光海3年、皇太子はパク&イチョムの孫(=パク・チャフンの娘)と結婚。
これを機にクァンヘ君はパク・スンジョンに崇政大夫の位階を与え、
イ・イチョムは嘉善大夫にして大司憲に任命しました。
ユ・ヒブン(王妃兄)を弾劾しろとケシがさっそくイチョムをせっついています。
イチョムを訪ねたホ・ギュンが、庶子の登用を求めて決起するかもよ?と脅します。
それは本当で、ソ・ヤンガプ、パク・ウンソ、シム・ウヨン、イ・ギョンジュン、
パク・チウイ、キム・ピョンソンら“川辺の七友”が結束しつつありました。
それとは別に、ソンジョ時代に活躍して今は不遇のイ・グィ&クォン・ピル、
成均館の儒生イム・スギョンもクァンヘ君の治世に不満を抱えていました。
仁嬪の息子チョンウォン君(定遠君)宅から“王気”が漂っている”という噂も流れ、
ケシは“チャン・ノクスの生まれ変わり”だと評されていたそうです。
ちなみに燕山君時代も中宗の家に王気があると囁かれていたとか。
町では“宮の柳(=ユ氏)は青々と、鶯(ケッコリ=ケシ)が乱れ舞う”という
クォン・ピル作の歌が流行っていました。(作者を見つけて死刑!とケシ怒りまくり)
ある日、甥に科挙を合格させたいチェ参判夫人がケシに白い唐衣を贈ってきました。
白い唐衣は側室になれば着られますが尚宮が着てはなりません。
けれどもその唐衣をたいそう気に入ったケシは、クァンヘ君に直訴することに。
白い唐衣を着てくるくるとまわってみせるケシを王はうれしそうな顔で眺め、
“美しい”だの“側室になる決心をしたのか?”だのとデレデレして着用を許可。
クァンヘ君に抗議した王妃は、キム尚宮にはその資格がある!と怒られます。
イム・スギョンは科挙の答案でユ家を痛烈に理路整然と批判し物議をかもします。
提出されたその答案にクァンヘ君は怒りまくって不合格としました。
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