第41話「インモク大妃幽閉」
ある夜、うっふ~ん♪と部屋に入ってきたケシにクァンヘ君(光海君)が聞きます。
本当にヨンチャン大君(永昌大君)は病死か?そなたは関わってないのか?と。
私は関わってないと答えるケシに、さっそく大妃(仁穆王后)の件を話す王でした。
廃母論を言い出したことでパク・チウイ(川辺の七友残党)に責められたホ・ギュン。
けれども彼は、王が母を捨てれば民が反発し王を替えられると考えていたのです。
大君が病で死んだのではないという噂をカン・ホンリプがイ・ウォニクに伝え、
このままでは大妃への弾劾が始まってしまうと相談しました。
完平府院君イ・ウォニクは梧里(オリ)大監として知られ領議政を2度も務めた人物。
古い家で質素に暮らした彼を後の歴史家は朝鮮4名臣の一人と評価したそうです。
母と子の道理を説いたイ・ウォニクの上訴を読んだクァンヘ君はウォニクを呼び、
余は大妃を捨てようとはしてないのにあの上訴はなぜだ?と怒り始め、
称号を剥奪して江原道洪川に流刑しちゃいました。次に大妃殿へ乗り込み、
大妃が昌徳宮に移らず慶運宮に残りたがるから自分が親不孝と言われる!と非難。
それでも大妃は慶運宮に残ると言い張るのでした。
先王の側室インビン(仁嬪)が息子や孫の身を心配しながら息を引き取りました。
(この女優さんって途中で目をいじったように思えますが・・・気のせい?)
インビンの葬儀はみすぼらしいもので、この頃はヌンヤン君(綾陽君)ではなく
弟のヌンチャン君(綾昌君)に王気ありと噂されていたそうです。
光海7年(1615年)、クァンヘ君は昌徳宮に移り、大妃は慶運宮に残りました。
慶運宮はさげすまれて西宮と呼ばれ、大妃の幽閉生活が始まりました。
幽閉はイ・イチョムが勝手に(本人いわく王の御心を読んで)行っていたようです。
クァンヘ君は自分の代理としてハン内官に西宮へ挨拶に行かせることにしました。
ケシに心づけをもらって手なずけられたハン内官は大妃の伝言や願いを無視。
しかしハン内官につきそっていたウォンピョは大妃に同情を覚えたらしく、
大妃実家からの手紙を手に入れたりチョンミョン姫の薬を用意したりしています。
若い内官の怪しい動きを知ったケシが捕らえてみたらウォンピョでびっくり!です~
イ・イチョムが大妃を幽閉しているとして非難する貼紙が都を騒がせていました。
反逆者が町を歩いている証拠!捕らえねば!とイチョムが“三昌”をせき立てます。
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