燕山君が仁粹(インス)大王大妃の顔の白布を取って必死に話しかけます。
「なぜ母を死なせたと言ってくれなかったのです?私は不孝者のままです!
生きているときは母を苦しめ、死んでからは私を苦しめるのですか?」。
皆はおだてて大王大妃と呼ぶが本当の大王大妃は安順王后(睿宗妃)だけ!
ただの世子妃で粋嬪だろ!それに成宗は睿宗の養子だからオレの祖母じゃないし!
国母にもなってないし傍系だし安順王后より格下の葬儀でじゅーぶん!と燕山君。
大臣たちは反対意見を唱え、イム・サホンだけがこびへつらって賛成します。
義兄シン・スグンが必死に進言してようやく燕山君が喪服着用に同意しました。
逝去を公表しない燕山君のことを月山大君夫人パク氏が憤慨していましたが、
公式に告げられて殯宮が設けられたのは次の日の明け方のことでした。
お供えにつばを吐きかけて笑う異母兄に晋城大君がおののいています。
四十九日を待たずに懿敬(ウィギョン)世子の隣に埋葬されることになり、
仁粹大王大妃のあまりの待遇に涙を流す女官を目にした燕山君が泣くのを禁止。
「祖母上は情に流されず規則に従っていたから泣いてはならぬ!」そうです。
舅である
世祖に暴嬪(ポクピン)とも呼ばれていた仁粹大王大妃。
父のハン・ファクは、姉が明の皇帝の側室だったため多大な権力を持っており、
世祖が王になれたのはハン・ファクの助力によるところが大きかったとか。
そのため世祖は嫁の仁粹大王大妃を大切にしたのではと推測されるそうです。
夫の懿敬世子(徳宗)が早世して宮殿から出ましたが、それでも屈せずに奮闘。
睿宗が亡くなると次男の者山君を王にして(=成宗)再起に成功します。
表向きは貞熹王后の垂簾政治でも、実際に動かしていたのは仁粹大王大妃。
成宗の時代が泰平の世だったのも仁粹大王大妃の力によるものでした。
しかし権力の掌握をはかるために嫁を廃位したことが晩年の没落を招き、
結局は燕山君という暴君を生み出し、中宗反正が起こってしまいます。
強い王権を築こうとした彼女の努力は泡になった・・・という説明が流れ、
嫁時代の若々しい姿も出てきます。チェ・シラさん本当にお疲れ様でした!
さて、淑容になったチャン・ノクスと昼間から酒を飲んでいる燕山君のところへ
長興(チャンフン)府夫人となった祖母シン氏が訪ねてきました。
燕山君の移り気がはげしいらしく、その日は罵りながら追い返しています。
朝会にも經筵にも出ない王に大臣たちは会えず、時代はイム・サホンの天下に。
小うるさい大臣にムカついた燕山君は慎言牌(シノンペ)を首から下げさせ、
前に「忠」と書いて後ろに「誠」と書いた官帽をかぶれとさらにご命令。
震える領議政にまぬけなお帽子をかぶせて大喜びするのでした。